『アマテラスの暗号』(伊勢谷武著)この小説を読んで、15年ほど前のことを思い出した。ある保険会社グループの研究所に勤務していたとき、コネチカット大学の保険論の教授クレーマー氏を日本に招聘して、私の母校の大学で米国医療保険の講義をしてもらうことになった。それは私が車で成田に迎えに行った時の教授の開口一番の言葉だった。教授はユダヤ人であり、すでに60歳前後であったが、車の中で放った最初の言葉が「日本人って、ユダヤ人なんでしょう?」という言葉だった。その前に教授とはコネチカット大学でも会っていたし、コネチカットの州都ハートフォードでご家族とも食事をしたこともあったが、突然の場違いな質問に驚き、即座に私が否定したので、その話はそれで終わってしまった。全米でオバマケアが話題になる少し前のことである。それまで日本とユダヤとの関係については「日本人とユダヤ人」という本がベストセラーになったことが記憶にあるぐらいで、特別の関心は持たなかったが、ユダヤ人である教授の言葉は妙に心に残っていた。
この歴史ミステリーといわれるこの小説の結論は、日本の神道は渡来したユダヤ人がもたらしたユダヤ教や原始キリスト教から生まれたものか、もしくは日本にあった原始宗教(神道)がそれらと融合して出来上がったものだとし、アマテラス(天照大御神)はイエス・キリストであるとしている。小説なのでどんなストーリーでも許されると思うが、それぞれ現実に存在している宗教なので、小説に書かれているものと現実を比較すると、発想としては面白いとしながらも、どうしてもリアリティがなさから小説のストーリーから心が離れてしまった。
6世紀に我が国に入ってきた仏教が、凡そ1500年後の今日までも宗教として根付いたものになっているのに、なぜ2000年前に入って生きたユダヤ教や原始キリスト教が歴史的に見ても全く痕跡もなく消滅してしまっているのかと、単純に疑問に思ってしまう。 歴史学者のアーノルド・トインビーが出てきて、トインビーが1967年に伊勢神宮を訪れたときに、「私はここ聖地において、すべての宗教が根源的に統一されたものであることを実感する」としたことがこの本の中で記されており、トインビーは神道の中に宗教の原初的な普遍性を見出して、排他的なキリスト教やイスラム教がもし神道的な受容性を取り入れれば、世界に平和と安寧をもたらすものだと思ったのかもしれない。日本人にとってパレスチナのガザ地区の紛争がなかなか理解できないのは、対立するイスラム過激派とイスラエルの憎しみ合いの深刻さであり、その根っこのところにあるのが宗教の排他性である。この排他性は文化や伝統、法律(イスラム教のシャリア)や社会規範の中に組み込まれており、なかなか変えられるものではない。ということはこの種の紛争はあと数十年、数百年も続くのかと思わざるを得ない。